女優の本上まなみが、出版社勤務の編集者との入籍を発表した。相手は以前
から交際がささやかれていた40代半ばの男性。本棚に並べられた彼女の写真集
をぱらぱらとめくりながら、私は祝福と落胆、両方の気持ちを彷徨っている。
アイドルや俳優の結婚は、少なからずファン心理に影響を与えるものである。
今頃全国の本上まなみファンは、がっくりと肩を落として、部屋の壁に貼ら
れたポスターを見つめながら悲観に暮れているか、純粋に彼女の幸せを願い
ながら日常生活に没頭しているか、いずれかの態度をとっているに違いない
が、いずれにせよ、ファンとしての自分が、今後どのような方向をたどる
べきか、考え直す必要に迫られるであろう。
悲観に暮れているファンは、ファンとしてのあり方を、本上その人への恋の
内に見出している。しかし今やその恋は、45歳の中年男性たった一人
の手によって打ち砕かれた。しかも、2週間後にはクリスマスが控えている。
これほど大きなショックに打ちひしがれて、どうしてメシアの誕生を祝えると
いうのか。むしろ、自分にとっての救い主は今、死んだ。聖母マリア
は45歳の中年男性と共に、救われるべき彼らを残して、死んだのである。
このような理由で悲しんでいるファンは、独身男性に限らない。本上まなみ
が、若者の間というよりも、むしろ中年男性の間で人気を博していたということ
は、彼女がいわゆる「癒し系」タレントの先駆けであったことからも、容易に想像
がつく。妻や子供を抱えた男たちは、本上の吐息に耳を澄ませ、上目遣いに唾を
飲み、颯爽と歩く姿に目を奪われ、彼女を格別の「いい女」、理想の恋人、理想の
娘として愛していたのである。しかし、彼女は去っていった。ミドルエイジに
とっての永遠の恋人は、永遠では無くなった。ミドルエイジの夢は、同じミドル
エイジによって砕かれたのである。
純粋に本上の幸せを願っているファンは、彼女の結婚を、一女性が幸せを求め
て当然の如く選んだ道として純粋に祝福できるような達観した人格を備えている。しかし
ながら、結婚するということは、行動範囲においても、仕事内容においても、
その後の人生に大きな変化をもたらすものである。本上の幸せを願っているからと
いって、彼女がこのままショウビズの世界から消えてしまうことは誰も望むまい。
しかし、今までと同じような形の活躍を求めることはもはや出来ないわけである
から、彼女を見つめるその視点を、改めて考え直す必要がある。