しかし、このコスプレの例は極端であるにしても、最近は人の関心が赴く方向に
よって、物の本質と副次的事柄が履き違えられるという悲しい傾向が多く見られ
る。ピーコやドン小西らファッション評論家によって盛んになった芸能人の辛口ファッ
ションチェックなどは、芸能人の良し悪しの基準をある一定の時間だけコーディ
ネィトの良し悪しに絞ることで、例え表向きは問題ないように見えても、一部の
視聴者はそのために「服装のセンスが良いのは善、悪いのは悪」という錯覚に陥っ
ている。その証拠か、長谷川理恵との不倫とそれに関連する「不倫は文化」発言
で一世を風靡した(!)石田純一は、「ロングのシャツをいつも首にかけているのが
時代の流行に逆らっている」とかいう理由で、今年4月に発売された雑誌「an・an」
の2002年「好きな男・嫌いな男ランキング」の「時代錯誤だと思う男」部門で堂々
の一位に輝いてしまった。およそ大衆意識が好意から敵意へと変化する度合い・
スピードは容易に測れるものではない。不倫発言騒動にちょっとした服装選びの
疎さが重なって、まるで核分裂が臨界点に至るかのように憎悪が連鎖的に膨れ
上がる。
私はかつてこのような連鎖反応を、中学生時代、間接的に経験し、少なから
ず被害を受けた。94年頃、一人のアイドルが地も轟く程のバッシングに見舞われ、
事実上表舞台から姿を消した。それは女優の裕木奈江であった。当時私は
彼女の透明純潔そうなキャラクターに魅かれて中学校内でも盛んに彼女を宣伝
し、擁護したが、その為に私自身がいわれの無い差別を受けたのである。その
内容はここに書くまでもあるまい(たいしたことじゃないだろって)。