ケルン大学ゼミ 単位獲得を巡る苦闘


 夏季休暇も2ヶ月目に入り,来月から冬学期。そろそろ重い腰(文字通り)を上げて後期

の準備をしなければならない。しかし,その前に気になるのが既に終了した夏学期の成績

である。私が日本で通っている愛知県立大学(現在は休学中。以下“県大”)の場合,

前学期の成績がわかるのは新学期が始まってからであるが,ケルン大学の場合,休暇中に

成績を知ることができる。但し,各授業の成績表を各該当学科の窓口へ別々にもらいに

いかなければならない。それから,これは日本の大学とドイツの大学の大きな違いであるが,

ドイツの大学の場合,一般に言う講義( lecture )に参加するだけでは単位をもらうことは

出来ない。


 単位を得るためにはゼミナール( seminar )や外国語の実践演習( practice )など,イメージと

しては講義に参加するときよりも積極的な参加姿勢が要求される授業のみである。私は

ケルン大学文学部哲学科に所属しており,前期は初級ゼミナール「マルティン・ハイデガー

『芸術作品の根源』」に参加した。


 初級ゼミ「ハイデガー『芸術作品の根源』」は題名にもある通り,哲学者ハイデガーの著書

『芸術作品の根源』の内容について担当教官が毎回幾つかの質問をし,学生がそれに

ついて答え,時にはその解釈について討論するという授業である。授業で使われるのはレクラム

文庫から出ている同題名の本。ハイデガーの代表作『存在と時間』を読んだことのある人なら

お分かりの通り,彼の作品には「或る」とか「存在」とかいう日常我々が何の気無しに使って

いる言葉がしばしば登場する。しかしこの何の気無しに使っている言葉が逆に抽象的過ぎて

私を悩ませる。例えば,『芸術作品の根源』の冒頭は次のように始まる。


 「ここでいう起源とは,或る事柄が何で有りいかに有るかということが,それに由来しそれに

よっているところのものである。或るものが有るがままに何で有るかということを,我々はその本質と

名づける。或るものの起源とはその本質の由来のことである。芸術作品の起源への問いは,

芸術作品の本質の由来に向かって問う…」(杣道・ハイデガー全集 第5巻,茅野良男 

訳,1988,創文社)  とても素敵な文章なので吐き気がしますね。


 ここでゼミ全12回の内容を詳細に語ることはできないが,とりあえず初回授業(4月)での

衝撃は今でも覚えている。始めの授業は担当教官によるオリエンテーションだったのだが,

聞き取れたドイツ語の単語は「ハイデガー」「ガダマー(哲学者の名前)」そして「ニーチェ」だけ

であった。曲がりなりにも3年間ドイツ語を勉強してきたのに人物名しか聞き取れなかったと

いうのは何とも情けないことである。2週目の授業からは話の内容を難無く聞き取れたので,

あの時は先生が何か特殊な言葉で話していたのかもしれないし,私の耳がおかしかったの

かもしれない。しかしいずれにせよ,体の具合でドイツ語が聞き取れないというのも情けない

話なので,この初回授業での悔しい思いは決して忘れない。


 ドイツ語による授業が聞き取れたのは良いのだが,問題はハイデガーである。昨年県大の

ゼミで『存在と時間』を読んだときにもうギブアップ状態だったのに,ドイツ語で内容を理解

なんてできるか!そういう気持ちを抱いたのはゼミ開始1ヶ月後の5月下旬のことであった。

それに加え,7月に行われるゼミの試験方法が発表され,試験がレポートではなく,筆記で

行われることが分かった。私はこちらで知り合った日本人の先輩から,「筆記試験に自信の

無い人は,先生に言えばレポートに変えてもらえる」というようなことを聞いていたので担当

教官に相談してみたのだが,「だめ」と言われた。これはまずい。というのも先ほど言った通り,

私が『芸術作品〜』の内容を理解し切れていないからである。


 私は至急実家と連絡を取り,ゼミのテキストの日本語訳を購入し,それをこちらへ送って

くれるように頼んだ。それから一ヶ月程した6月の中旬に母から連絡があり,航空便で

例の本を発送したという連絡を受けた。これで何とか試験は受けられる。私はそう確信

していた。


 丁度この頃,ゼミのクラスであるドイツ人女性と知り合い,色々と話をするようになった。聞く

ところによれば彼女もハイデガーのテキストがいまいち理解できていないらしい。そういうわけ

で,それ以来週に一回『芸術作品〜』の勉強会をすることになった。そのお陰で,私は日本語版

テキストの到着を待つことなく,大まかな内容は把握できるようになった。 ところで,母が発送した

という翻訳本だが,到着が予定されていた6月の下旬までに届かなかった。私は念のため母に

電話をし,日本の郵便局に尋ねてもらったのだが,海外送付郵便物の追跡には数ヶ月を要するという。

「そんなばかな!その時には試験が終わっているではないか!」久し振りに冷や汗が

流れる。そして同時に代替策を考え始めた。テストはもう1週間後,レポートでは無く筆記。

私は何ものかに追い詰められた気分であったが,結局次のような結論に至った。「自力で

やりましょう」。


 早速私はテキストを冒頭から読み直して,内容のよく分からないところは担当教官に聞くか,

県大の哲学の教授にメールで質問した。何の予告も無くテスト直前の週末に大量のメール

を送りつけられた県大の○原先生は迷惑されたに違いない。 テスト当日。教官から

配られた問題用紙には三つの論述テーマが載せられていた。「世界と大地の関係を答えなさい」

「芸術作品はどのように生じるか」「ハイデガーが紹介している物概念を3つ挙げよ」という

非常に答えづらい問題であったが,答案作成時間が無制限だったので私は答案作成に

3時間をかけた。私が書き上げるまで教室に残っていてくれた教官は不機嫌そうで,私が書き

終えたときには「こんなに早く出していいのかい?」と皮肉たっぷりに言ってくれた。〜とにかく,

これで終わりだ。


 テスト終了後2日が経って,留守番電話に次のようなメッセージが入っていた。「佐野さん宛に荷物が

届いていますので,配送センターまで取りに来て下さい(配送センターなら配送しろよ!)」もしや,と

思った私は早速ケルン郊外にある海外郵便取り扱いセンターまで急いだ。一連の手続きを終えて局員

から受け取った小包の中には…案の定,『ハイデガー全集』と日本のお菓子セット。それらお菓子のうち,

特にベビースターラーメンのパッケージ小僧は私の今回の不幸をあざ笑うかのようであった。私は「今ごろ

届くなよ〜」と嘆きながらも,届かないお陰で必死に勉強できたので「これで良かったのかな」とも思った。


 あれから1ヶ月が経ち,9月の始めに試験の結果を取りに行った。哲学科の事務室には各ゼミの

ファイルが山積みにされていて,学生はその中から添削された答案と成績表を自由に持ち帰ることが

出来る。私の答案もその中にあった。


 そして気になる成績であるが,A4の半分(A8?)の大きさの紙には,次のように書かれていた。「noch

ausreichend(読み:ノッホ アオスライヒェント)」。ドイツの成績評価は6段階で,そのうちの4番目に当たる

のがausreichend,日本語でいう「可の下(合格のなかでも最低の成績)」である。私はなぜこの

ausreichendにnochという副詞がついているのか良く分からず,自分が試験に受かったのか落ちたのか

一日中考え込んだ。そして,寮の同じ階に住む人たちや哲学科の事務の人に上の表現の意味を

聞きまわった。ドイツ語を多少なりとも知っていてこれを読んでいる人は何でそんな単語の意味が分から

ないのかと首をかしげるかもしれないが,当の本人は落ちると思っていたわけだから,そういう確信に支配

された精神状態で「合格」という表現を目にしても,疑わざるを得ないのである。


 結局,noch ausreichendの意味は,「なんとか可の下(ぎりぎり合格)」という意味だそうで,私は10人

位の学生から同じ説明を受けてやっと自分が合格したことを確信した。もっともこのnochというのは教官

の気分でつけるものだそうで,あくまでもドイツの成績評価は6段階で,ausreichendとnoch ausreichend

には何の違いもないらしい。ゼミで単位を取ることは県大のドイツ学科から課せられていた一種のノルマ

だったのでそれを前期のうちに成し遂げられたのはとても嬉しい。また,他のドイツ人と全く同じ条件で

受けた試験に合格できたという意味でさらに嬉しい。


 添削された答案には,書き殴られた教官の文字で「哲学的テーマ立てがなってない」とか「この答案は

事実を寄せ書きしたものに過ぎない」とかなるほど厳しいことが沢山書かれており,最後の最後も「留保

付きで合格」と皮肉一杯の一言。アジア人嫌いなのかそうした皮肉ばかり言ってくる教官であったが,

「留保付き」とはいえその教官から合格の評価をもらえたのはありがたいことである。


 先日後期のシラバスを買ってきて,今それを読みながらどの授業に出ようか迷っている。サルトルもいいし,

ショーペンハウアーもいい。哲学以外の授業もいい。勉強会を通して仲良くなった女性とも再び勉強会を

始められるだろうし,後期は実に楽しみが多い。でもハイデガーはいや。皮肉好きの先生もいや。それから

母にお願い。「べビースターラーメンは送らないで」。(終)


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